「人間的」ということ ー9/10の日記ー

今日は、いい本を読んだ。

読む力・聴く力 - 岩波書店

リンク先の紹介文に「これを読めば、本を読むとき(略)の意識が変わること請け合いです」と書かれているが、まさに自分の普段の思考や読書の姿勢を省みるいい機会になった。

私には、どうにも理屈っぽく、頭でっかちな思考になってしまいがちなところがある。もともとそういうタイプなのだが、ここ最近人と喋る機会がめっきり減ったことでよりこの傾向が強くなっている気がする。本や新聞を読むときにもそういう姿勢で読んでおり、感情的なのよりはマシだろう、と特に問題も感じていなかったのだが、この本を読んでそればかりでもいけないなぁと思わされた。

最初の河合氏の講演録の中で、「読む」とか「聴く」という行為には「私」が入っていないといけない、という話がされており、これがまず心に響いた。その後のシンポジウム録でも、「読む」とか「聴く」という行為が、頭、すなわち理性にとどまらず、どちらかといえば「体」に属する何かを共鳴させる行為として捉えてられており、これらの行為にとって重要なのは、単に理屈の世界、言葉の世界にとどまらない、より「人間的」な響きあいなのかもしれない、と感じた。
また、このような意味での「読むこと」「聴くこと」は一貫して「生きること」と深く関連づけられていた。情報が溢れる社会にあって、その対処法として「理性的である」ことばかりにとらわれていたが、全く異なる、ある意味でその対極とも言えるような「人間的な感覚の共鳴」というのも、生きるうえでは重要な要素なのかもしれない。

理性的であろうとすることの実生活における限界については、ここ最近何度か書いたように、なんとなく肌で感じていた。人間は結局のところどこまでも人間であり、神にはなれないのだから、あくまで理性という究極の目標は意識しつつも、その「人間的な」側面も(側面というか、自分は100%人間なのだから)もっと注視しなければいけないのかもしれない。

 

<今日の記録>

リングフィットアドベンチャーの総運動時間が10時間を超えた。