英語一喜一憂 ー9/16の日記ー

今日は何かと英語に触れる1日だった。

まず、英語のスピーキングをする機会があった。と言っても英会話ではなく、PCに映し出された設問に口頭で回答し、それを録音するというものだ。英語を話すことなど長らくやっていなかったものの、その間全く英語に触れていない訳でもないし、まあなんとかなるだろうと思っていた。しかし、これは実に甘い考えだった。いざ録音が始まると、自分でも驚くぐらい言葉が出てこないのだ。綿密に台本を作ってから話し始めるような余裕はないので、それなりにその場で考えながら喋るわけだが、次に言おうとしていることに該当する単語が急に思い出せなくなり、突然絶句するというのがしばしばあった。比較的日常会話に近いような内容も多かったのだが、まあ本当にすっぽりと抜け落ちているような単語も多く、なんとも情けない気持ちになると同時に、やはり知識というのは使わないと忘れてしまうなぁと、至極当然の真理に思い至ったりした。同時にあったライティングの方も到底上等とは言いがたい出来で、発信のための力を付け直さないとなぁと痛感した。

さて、帰宅した後は、このイベントを視聴した。

集英社新書創刊20周年記念シンポジウム 危機の時代を考える | Peatix

内容も非常に興味深く、色々と考えたこともあるのだけれど、まだうまくまとめられそうにないので、今日は英語についての話に焦点を絞る。結論からいえば、このイベントを聞いて先ほど失ったばかりの自信をいくらか取り戻した。
このイベントは、中島氏と斎藤氏が日本語で、ガブリエル氏が英語で話し、それぞれについての同時通訳を別の配信で流すことで、視聴者は同時通訳を聞きながら視聴することも登壇者の声だけを聞くこともできる、というシステムだった。最低限の聞き取りはできるとはいえ生の英語、しかも専門的な内容も多いであろうものを聞き切る自信はなかったので、最初は同時通訳を聞きながら視聴していた。ただ、途中からその同時通訳の聞きにくさがかなり気になりだした。そもそもがなかなか掴みにくい、抽象的な議論が多いうえ、専門的な用語が登場することも多いので、通訳者の腕云々の問題ではなく、日本語として聞きにくいことが多かった。そこで思い切って同時通訳を切り、そのままの英語を聞いたところ、これが以外にもそれなりに理解できたのである。もちろん一言一句を正確に聞き取っている訳ではないが、一つの発言を全体通して聞くことで、重要なポイントが何であり、またどんな裏付けのもとにその発言がなされているのかといったことが、ある程度理解できた。事前に登壇者の本を読んで予習したことや、対話の片方が日本語だったことで、少なくとも何に焦点を当てた質問に対する回答かはわかっていた、というのももちろんあるだろうが、それでも生の議論を理解できたのは嬉しかった。

というわけで、今日は自分の英語力に文字通り一喜一憂した1日だった。
この程度の出来事に動じないぐらい盤石の英語力をつけられるといいね。

 

<今日の出来事>

首相が安倍さんから管さんに変わった。