「文系」 ー8/4の日記ー

先日、こんな本を見つけた。

すみません、金利ってなんですか? | 小林義崇 |本 | 通販 | Amazon

新聞広告で見つけた本なのだが、内容はわりかし興味深い。金融についての記事は「読んでもよく分からん」という理由で読み飛ばすことが多いので、なんならちょっと読んでみたいとも思ったのだが、今日のテーマはそこではない。この本の宣伝文句の一つが、少し気になったのだ。それが

お金知識ゼロの文系編集者が元国税専門官にわかるまで聞いた!  

 という一文である。細かく言えば「”文系”編集者」という部分だ。

「教育の現場において、文系と理系を分ける意味はあるのか」というのは、長らく議論されてきた問いだ。今日の先端的な学問領域では文系と理系の融合的な研究がなされているとは言え、文系とされる分野と理系とされる分野においては求められる基礎知識や基本的なディシプリンなどに違いも多いので、この区分は一概に無意味とも言えないだろう。しかし、この「文系・理系」という言葉は、しばしば学問的な性格の区分から離れて一人歩きしているのではないかと思われるときがあり、これに関してはかなり問題視すべき事態なのではないかと感じる。そして今回の例は、まさにその代表例と言った感じがするのだ。

ここで、この編集者が「文系」であると書く意味が一体どれだけあるだろうか。別にお金に関する分野は、理系学問の独占領域という訳ではない。紹介をよく読むと、要するに数字が出てこない、ということらしいのだが、これについても文系の全員が全員数字が苦手な訳ではないだろう。
結局何が言いたいかというと、この「文系」とは「頭を使って論理的に考えるのが苦手な人」という意味を込めて使われていないだろうか、ということだ。

文系である自分の被害妄想に過ぎないのかもしれないが、「文系」という言葉にはしばしば「論理的に考えようとしない人」というニュアンスが込められている(気がする)。しかし、実際の文系と呼ばれる学問の成果を見れば、それが誤りであることは明確だ。学問の性格を区分しているに過ぎない「文系・理系」という言葉に、そのような精神性を持ち込むことは謹んで行きたい。

 

<今日の新たな知見>

クレジットカード等を入れた財布をテレビの近くに置いてはいけないらしい。(磁気不良を起こす)