COMBAT ー8/19の日記ー

COMBAT DEEJAY CLASHのNG対JUMBO MAATCHを見た。

(↓これのフル尺バージョン。DVDではなく有料配信で)

www.youtube.com

 

結論から言うと、最高だった。本当に見てよかった。 

まず何よりクラッシュをちゃんと見るの自体が初めての経験だったので、バトルの進み方自体が新鮮で衝撃だった。MCバトルをよく見る人間からすると、なんとなく「レゲエは持ち歌やるだけ」と言う印象を持ってしまうが、これは全く的外れでナンセンスな偏見だった。Deejay同士のコミュニケーションがしっかりとあって、さらにその上で曲の応酬があるのだ。完全な即興ではなく、その場でふさわしい自分のリリックを引っ張ってくる必要があるわけで、MCバトルとはまた違った機転が必要なのだろうなとも思った。

ショートバージョンとしてYouTubeに上がっているのを見るだけだとNGが優勢に見えたけど、全体を通してみるとかなりいい勝負だった。その時その時で「今の攻撃は刺さったな」と言うのはもちろんあるのだけれど、何しろ30分近くあるので流れがコロコロ変わる。一方がワーっと盛り上げたバースの直後に、しっかりとそれを受けて返す、言うなればプロレスの受け身からの反撃のような流れが何度もあって、その度に興奮の渦のようなものが画面越しでも感じられるぐらい観客が沸いていた。ただその中でも、ちょっとjumboの流れになってるかな、と言うところを逃さずに、jumboが的確に「俺はmixで盛り上げるだけじゃなくてまず16小節で殺す」と刺したあたりは、さすがベテランだなぁと感じた。

とにかく本当に楽しい30分だった。他のクラッシュも見れるようなので、そっちも見てみよう。

 

<今日のご馳走>

ステーキを食べた。

籠 ー8/18の日記ー

今日は随分久々の、一歩も家から出ない1日だった。別に最初からそう決めていたわけではないのだが、気づくと日の光を浴びないまま今日が終わろうとしていた。

まあたまにあることなので特に気にしないことにしているが、それでもやはりなんとなく罪悪感がある。外に出ない日というのは往々にして何に対してもやる気が出ない日なので、結局家の中で無為に時間を過ごしただけになってしまうのが原因かもしれない。まあその辺の罪悪感は、外が暑すぎるのが悪いということにしてかわしていこうと思う。

というか、正直なところ、今日外に出なかったことよりも。ここ最近なんだかんだ毎日外に出ていたことの方が驚きだ。人となかなか会いにくい情勢のなかで、今日に限らず外に出る用事など本来ほとんどないのだが、図書館にいくなり買い物にいくなりなんだかんだ理由をつけて1日1回は外出していた。外に出なければいけない、というある意味義務感のようなものを持って生活していた結果なのだと思うが、まさかここまで律儀に遂行できるとは思っていなかった。

そもそもこの夏は、外から予定が舞い込む可能性がかなり低い分いつも以上に自律的な、内的な動機を持った生活が必要だと考えて、ある程度一定の生活リズムを維持してきた。我ながら実に殊勝な心がけだと思う。ただ、外的な刺激が少ない分、同じリズムで生活するとどうしてもマンネリになってしまうのも事実だ。もしかすると今日のノー外出もこの生活リズムへの飽きが原因かもしれない。だとすれば、そろそろ新しい刺激が必要な時ということだ。通おう通おうと思いつつ結局まだ通えていない自動車学校に通うのは、今なのかもしれない。よし、通ってみるか。

…めんどくさいな。

 

<今日の体調>

なんとな〜く、う〜っすらと体調が悪い1日だった。

ゴリゴリッ ー8/17の日記ー

先週の金曜日、内容だけを決めて、実際に書くのを完全に忘れていたので、今日はその話を書くことにする。

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7月に買ったリングフィット アドベンチャーを、ローペースに続けている。1日20分ぐらいで、かつ2日やったら1日休むぐらいのリズムでやっているのでストーリーの進みは随分遅々としているが、ものすごく小刻みにレベルが上がるので成長している感じがしてなかなか楽しい。そしてレベルアップに合わせて使えるフィットスキルが増えていくのも楽しみにしながらやっている。

金曜日にも新しいフィットスキルを獲得したのだが、そこで事件が起こった。
新しくゲットしたのは、バンザイの姿勢でリングコンをぐるぐる回すという、どこを鍛えているのかわからんわりにやたらに攻撃力が高いスキルだった。(余談だが、初期装備であるスクワット、バンザイプッシュ、ニートゥーチェスト辺りのスキルはかなりきついのに子供のお遊び程度の攻撃力しかないのが解せない。)攻撃力が高いのはありがたいので早速セットして使ってみたところ、肩から妙な音がした。最初は、「指をポキポキ鳴らすようなものだろう」と思い特に気に留めなかったが、数回繰り返したあたりから異常を感じざるを得なかった。右肩から明らかに人体からするべきでない音がするのだ。なぜこんな音がするのか、と考え、今の今まで忘れていたある事実を思い出した。

私の鎖骨は、浮いているのだった。

昔部活で、肩が外れるとまでは行かないまでも激しめに痛めた時に、腱だか靭帯だかが切れて、右の鎖骨の肩側が浮いているのだ。当時は三角巾で吊ったりするそこそこの重症だった気がするが、治ってからは日常生活に支障がないのですっかり忘れていた。それがまさかこんな形で記憶と再開することになるとは思わなかった。異変を察知した後はこのスキルは使わなかったが、3日経った今も肩には若干の痛みが残っている。チョッパーが「痛みは体からのSOSなんだ」みたいなことを言っていた気がするが、できれば私が妙な動きをする前に少しでいいので合図が欲しかったところだ。

というか、よく考えるとそもそもなんで浮いたままで治療が終わったのかも、なぜそれで日常生活は問題ないなのかもよくわからない。おそらく当時は説明を受けたのだろうが、忘れてしまった。今はただ、特になんでもないままこの痛みが引くことを待つしかない。

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当時のことはだいぶ忘れてしまっているので、もしかしたら鎖骨が浮いている、というのも途中経過の説明を最終的な状態の説明と混同しているだけかもしれず、実際のところはなんとも言えない。ただ、妙な音がしたのは紛れもない事実だ。

 

<今日のMAX>

今月からきららMAXも買うことにしたので、予習のために2ヶ月分のバックナンバーを買った。

cameraはカメラにあらず ー8/13の日記ー

イタリア語の勉強をしている。
もともと1年ほど勉強していたのだが、半年ほど間が空いてしまったので、夏の余裕がある時期を使って復習をしようということで8月の上旬からのんびり始めている。半年経っても大まかな文法的なことは意外と覚えているのだが、抜け落ちているのが単語だ。「見たことはある気がする…」とはなるのだけれど、どういう意味だったかは思い出せない、ということが多い。

そんな時に役に立つことがあるのが、英語からの類推だ。比較言語学は詳しく知らないのであまり色々いうのは避けるが、やはり同じヨーロッパの言語ということで一定の類似性があるのだろう、英語からイタリア語へのある程度の類推が可能なのだ。"studiare"は「勉強する(study)」だし、"persone"は「人物(person)」だ。もちろん全部が全部このパターンで行けるわけではないが、前後の文脈からの検討も合わせて意味が理解できることも多い。

しかし、ここに曲者の一単語がある。"camera"だ。

始めてこの単語に出会った時、私は意味を調べようとすらしなかった。類推どころか、もろに「カメラ」だ。しかし、そこには落とし穴があった。実はイタリア語の”camera"は「カメラ」ではなく「部屋」という意味なのだ。なんともまあ、辞書を引こうとしない学習者を戒めるような単語である。
もしかしたら何か共通の語源があるのかもしれないが、そこを調べるのはまたの機会に。とにかく、未知の言語を学ぶのに予断は禁物ということだ。

 

ちなみにだが、英語でいうところの"camera"はイタリア語ではなんていうんだ、といえば ”macchina fotografica" つまりは「写真撮り機」らしい。なんというか、ひねりのないネーミングである。

 

<今日のミニ恐怖>

夕飯に食べた鶏肉、よく見たら中がまだ微妙に赤いところがあった。あまり気にせず全て食べてしまったが、大丈夫だろうか。

錬成 ー8/12の日記ー

猛烈に暑い日が続いている。
こう暑いと、何かさっぱりしたものが食べたくなる(さらっと書いたが、少し前までは味が濃くて重たいものこそ正義だと考えていたので、大人な舌になったなぁと、しみじみしたりなどしている)。

ということで、たまたま近所のスーパーで安かった鶏胸肉を使ってさっぱりした何かが作れないかとネットで調べて、これを作ることにした。

さっぱり鶏チャーシュー|メニュー・レシピ |ミツカングループ商品・メニューサイト

調理工程が簡単そうで、さっぱりなのにボリュームがありそうなところに惹かれ、早速ニンニクと生姜と味ぽんを買ってきて、夕飯に作ってみた。

 

結論から言うと、地獄の毒沼が錬成された。

私は鶏チャーシューを作っていたはずなのに、なぜ悪魔が水遊びをしていそうな沼(頭蓋骨も浮いている)が誕生してしまったのかは全くわからないが、とにかくできてしまったのだ。

蓋を開けた途端、グラグラと煮立つ暗黒の液体と対面し、私は自分の愚かさを痛感した。と言うのも、私は以前同じ失敗をしたことがあったのだ。あれは肉じゃがを作ろうとした時だった。火にかけている間に少し目を離していたら、「肉じゃがの原材料」であったはずのものたちは「確実に肉じゃがではない何か」に成り果てていたのだった。あの時も今回も、おそらく原因は火加減だ。前回学んだはずの「煮る工程の間は定期的に様子を見る」と言う教訓は、すっぽりと私の頭から抜け落ちてしまっていた。

そんなわけで散々な見た目ではあったが、ひどいことになっていたのは煮汁部分だけで、本体の鶏肉はしっとりしてなかなか美味しかった。今度はしっかりと火加減を調節しながら、リベンジしたい。

 

<今日の痛(つう)>

昨日のリングフィット の後に思いつきで腕立て伏せを10回だけしてみたら、今日かなりしっかり筋肉痛になっていた。

クラッシャー ー8/11の日記ー

日常系アニメでたまにある途中から出てきた強ボケ担当みたいなキャラが作品の雰囲気を壊しちゃう現象、あれはなんで起こるんだろうか、という話。

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先週も書いたけれど、「キャタクター同士の関係性」は、もはや環境条件を定義に用いるのは困難なほど多様化した日常系というジャンルにおいて、作品のアイデンティティを担う肝となる要素の一つだ。どれだけ設定が非日常的でも、キャラの個性やその関係性次第で、緩さ、穏やかさなど独自の要素を兼ね備えた、日常系的な空気感を作り出せる(と個人的には思っている)わけである。

ただ、突き詰めていけばその「日常系的な関係性」にも違和感はあるというか、現実的ではないわけで、その意味において、「日常系的な関係性」こそ一番の非日常だったりもする。そんな、ある意味で「非日常」で「非現実的」な関係性はしかし、ゆるく穏やかな空気感によって巧みにその違和感を覆い隠されている。言い換えれば、その空気感が違和感を目立たないように溶け込ませているのである。これは裏を返せば、その空気感を剥いでしまえば明らかな違和感がそこにはあるということだ。

そして、冒頭で書いたような「強ボケ担当」キャラは、その空気感を剥いでしまう。「強ボケ担当」とは、簡単に言ってしまえば明らかに異常な存在である。日常系的な空気感は、こういうキャラも受容せざるを得ないが、これを受容してしまうと、結果としてその空気感は崩れ、前述した小さな違和感もむき出しになってしまう。「あり得ないけど、あり得るかもしれない」関係性・空気感だったはずが、一気に「絶対にあり得ない」ものになってしまうのである。こうなってしまうと、それまでの関係性も、全て虚構に見えてしまう。

この手のキャラは、原作の漫画でももちろん登場しているのだろうけど、漫画に比べてアニメは表現する要素が格段に増える分、より精緻で繊細なバランスが整えられていて、漫画よりも脆いのかもしれない。

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随分断定的に書いてしまったけど、実際そこまで強く考えているわけではなく、昨日あった異常に暇な時間に考えていたことをなんとなくまとめてみた、という程度のこと。「なんとなくこんな感じな気がする」というのをそのまま、ある程度見た目の良い(断片的でない)文章にするほどの筆力はまだない。

 

<今日の最高気温>

37℃。正気かよ。

「便利」ワード ー8/7の日記ー

人のある側面を切り取ってカテゴライズするワードというのがある。
典型的なところで言えば「陽キャ陰キャ」、「オタク」など。この前書いた「文系・理系」というのもある意味でそういう側面があると思う。そのほか枚挙にいとまがないが、具体例はこのくらいに。
こういう言葉は、何かと「便利」だ(鉤括弧付きであることが重要)。適用範囲が非常に広いので使いやすいし、共通の枠組みのもとでカテゴライズすることでなんとなく分かった気になれる。ただ、この手の言葉を乱用するのはかなり危険だと思う。

人をカテゴライズする言葉に限らず、この手の「便利」な言葉(主にインターネットを経由して広がっている)は、元々がどういう意味だったのであれ、広く流布する過程でカバーする範囲がものすごく広げられてきた、すなわち面白がって何にでもその言葉を適用していった結果、その言葉に固有の意味範囲というのがかなり狭小になっている。その分どんな対象にでも当てはめやすい(つまり言葉として使いやすい)わけだが、実際に当てはめるとその意味範囲の狭小さゆえにかなりの量の捨象される要素が生まれ、結果として対象の独自性は確実に損なわれる。「便利」な言葉を安易に使って面白がる行為は、その対象を緩やかながら確実に死に向かわせる行為だと思う。創作作品について使ったり、自称したりするのは絶対にやめた方がいい。

なぜこう突然やいのやいの言っているのかといえば、きらら公式の「むすんでつないで」の宣伝ツイートが、どうにも納得できなかったからだ。ただ、作品自体はとても良いので、「RTしたいけどしたくない」という面倒な葛藤を抱えている。

 

<今日の宴>

今からギョウザを焼き、酒を飲む。