外出欲 ー9/17の日記ー

珍しい感情が芽生えた話。

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今日は朝からどうにも落ち着かない日だった。

起床はいつもよりやや遅めの11:30ごろ。特に予定もなかったので、歯磨きやら洗顔やらを済ませた後は新聞を読んだり昼食を食べながらアニメを見たりしていたのだが、どうもそわそわして落ち着かなかった。最初は予定のない日特有の「何かした方がいいんじゃないか」という漠然とした焦りのようなものだと思っていたのだが、次第に今日のそれはいつもより具体的な形を持っていることに気づいた。

それは「外出したい」という気持ちだった。

生粋のインドア派である私にとって、これは滅多にお目にかかれない感情だ。家にいる時間が長くなる中で、それでも家の中での楽しみをあれこれ見つけてきたし、そういうやる気の出ない日は家の中だろうと外だろうとエネルギーがわかないことに変わりはなかったが、今回ははっきりと「外に出たいな」と思っていた。在宅時間が格段に伸びていることがもちろん一番の原因だろうが、それでも「外に出る」こと自体を楽しめるようになっているのだとしたら、これはある意味で進歩というか、成長かもしれない。

ただ残念なことにそんな気持ちになることがまずないので、こういう時にどこに行けばいいのか分からない。しばらく考えて、カラオケに向かった。家と店の往復以外は室内なわけなのであまり外出欲を満たすのに適切な選択ではなかったかもしれないけど、まあ楽しかったので結果オーライだ。

もしかすると、今後こういうことは増えてくるかもしれない。そんな時に備えて、行きたいところをいくつか考えておくといいかもしれないと思ったりした。

 

<今日のヒット料理>

鶏キムチ(豚キムチの鶏バージョン)にとろけるチーズを多めにかけた「なんちゃってチーズタッカルビ

英語一喜一憂 ー9/16の日記ー

今日は何かと英語に触れる1日だった。

まず、英語のスピーキングをする機会があった。と言っても英会話ではなく、PCに映し出された設問に口頭で回答し、それを録音するというものだ。英語を話すことなど長らくやっていなかったものの、その間全く英語に触れていない訳でもないし、まあなんとかなるだろうと思っていた。しかし、これは実に甘い考えだった。いざ録音が始まると、自分でも驚くぐらい言葉が出てこないのだ。綿密に台本を作ってから話し始めるような余裕はないので、それなりにその場で考えながら喋るわけだが、次に言おうとしていることに該当する単語が急に思い出せなくなり、突然絶句するというのがしばしばあった。比較的日常会話に近いような内容も多かったのだが、まあ本当にすっぽりと抜け落ちているような単語も多く、なんとも情けない気持ちになると同時に、やはり知識というのは使わないと忘れてしまうなぁと、至極当然の真理に思い至ったりした。同時にあったライティングの方も到底上等とは言いがたい出来で、発信のための力を付け直さないとなぁと痛感した。

さて、帰宅した後は、このイベントを視聴した。

集英社新書創刊20周年記念シンポジウム 危機の時代を考える | Peatix

内容も非常に興味深く、色々と考えたこともあるのだけれど、まだうまくまとめられそうにないので、今日は英語についての話に焦点を絞る。結論からいえば、このイベントを聞いて先ほど失ったばかりの自信をいくらか取り戻した。
このイベントは、中島氏と斎藤氏が日本語で、ガブリエル氏が英語で話し、それぞれについての同時通訳を別の配信で流すことで、視聴者は同時通訳を聞きながら視聴することも登壇者の声だけを聞くこともできる、というシステムだった。最低限の聞き取りはできるとはいえ生の英語、しかも専門的な内容も多いであろうものを聞き切る自信はなかったので、最初は同時通訳を聞きながら視聴していた。ただ、途中からその同時通訳の聞きにくさがかなり気になりだした。そもそもがなかなか掴みにくい、抽象的な議論が多いうえ、専門的な用語が登場することも多いので、通訳者の腕云々の問題ではなく、日本語として聞きにくいことが多かった。そこで思い切って同時通訳を切り、そのままの英語を聞いたところ、これが以外にもそれなりに理解できたのである。もちろん一言一句を正確に聞き取っている訳ではないが、一つの発言を全体通して聞くことで、重要なポイントが何であり、またどんな裏付けのもとにその発言がなされているのかといったことが、ある程度理解できた。事前に登壇者の本を読んで予習したことや、対話の片方が日本語だったことで、少なくとも何に焦点を当てた質問に対する回答かはわかっていた、というのももちろんあるだろうが、それでも生の議論を理解できたのは嬉しかった。

というわけで、今日は自分の英語力に文字通り一喜一憂した1日だった。
この程度の出来事に動じないぐらい盤石の英語力をつけられるといいね。

 

<今日の出来事>

首相が安倍さんから管さんに変わった。

無気力記 ー9/14の日記ー

今日は何もしていない。なんというか、何もする気が起きなかった。日記を書くかどうかも正直なところ迷ったのだが、何もしてない日は「何もしてない」という日記を書くことで、この無気力日がどれくらいの頻度でくるかの記録にもなるかもしれないので、書くだけ書いておこうと思う。

今日の無気力の原因ははっきりしていて、土日の連勤とそのあとのお酒だ。土日合わせて20時間弱ぐらいは立ちっぱなしだったし、お酒についても普段は飲まないロング缶で飲んでしまった。アルコールの回りと疲れにより12時間以上寝てしまったけど、これもよくなかったのかもしれない。
まあ諸々の原因が重なって、朝から非常に体が重かった。特に吐き気等はなかったが、もしかすると世に二日酔いと呼ばれる症状も入っていたのかもしれない。とにかく何もする気が起きず、ただパソコンやスマホを眺めながら無為な時間を過ごした。本当はそこそこやらなければいけないこともあったのだけれど、こうなってしまうともうどうしようもない。これまで生きてきて、自分の操縦方法の基本として「エネルギーが湧かない日は何をしてもしょうがない」というのを理解しているので、やるべきことは明日の自分に託して、気の向くままにひたすら無為に時間を潰した。頑張ってくれ、明日の自分。

 

<今日の気づき>

何もしていない1日でも、リングフィットをやると「何かやった」感が得られてよい。

「人間的」ということ ー9/10の日記ー

今日は、いい本を読んだ。

読む力・聴く力 - 岩波書店

リンク先の紹介文に「これを読めば、本を読むとき(略)の意識が変わること請け合いです」と書かれているが、まさに自分の普段の思考や読書の姿勢を省みるいい機会になった。

私には、どうにも理屈っぽく、頭でっかちな思考になってしまいがちなところがある。もともとそういうタイプなのだが、ここ最近人と喋る機会がめっきり減ったことでよりこの傾向が強くなっている気がする。本や新聞を読むときにもそういう姿勢で読んでおり、感情的なのよりはマシだろう、と特に問題も感じていなかったのだが、この本を読んでそればかりでもいけないなぁと思わされた。

最初の河合氏の講演録の中で、「読む」とか「聴く」という行為には「私」が入っていないといけない、という話がされており、これがまず心に響いた。その後のシンポジウム録でも、「読む」とか「聴く」という行為が、頭、すなわち理性にとどまらず、どちらかといえば「体」に属する何かを共鳴させる行為として捉えてられており、これらの行為にとって重要なのは、単に理屈の世界、言葉の世界にとどまらない、より「人間的」な響きあいなのかもしれない、と感じた。
また、このような意味での「読むこと」「聴くこと」は一貫して「生きること」と深く関連づけられていた。情報が溢れる社会にあって、その対処法として「理性的である」ことばかりにとらわれていたが、全く異なる、ある意味でその対極とも言えるような「人間的な感覚の共鳴」というのも、生きるうえでは重要な要素なのかもしれない。

理性的であろうとすることの実生活における限界については、ここ最近何度か書いたように、なんとなく肌で感じていた。人間は結局のところどこまでも人間であり、神にはなれないのだから、あくまで理性という究極の目標は意識しつつも、その「人間的な」側面も(側面というか、自分は100%人間なのだから)もっと注視しなければいけないのかもしれない。

 

<今日の記録>

リングフィットアドベンチャーの総運動時間が10時間を超えた。

今月のきらら ー9/9の日記ー

毎月9日はまんがタイムきららの発売日!

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今月のきららの感想を書く。
実はまだ全部読んでない、どころか最初の数作品しか読んでないのだけれど、書きたいことがあるので忘れないうちに書いておく。

まずなにより、今月も星屑テレパスが最高だった。単行本が出てからのエピソードは毎回、全キャラの個性がしっかり立ちながらも、それぞれが全く邪魔し合わず、完璧に調和して作品の空気が完成されている感じがする。それぞれが良さを最大限発揮しながらも、話の腰が折られることが無くて、ものすごく自然にストーリーが進む。本当にすごい作品だと思う。11pというボリュームもありがたいし、笑原先生もしっかり登場してくれて嬉しかったので、このまま突き進んで欲しい。

そしてその直後にセンターカラーでむすんでつないで。こちらもキャラそれぞれの持ち味が出てて楽しかったし、新キャラ鳥居さんのポジションも面白い。

二作品ともすでに未来のきららの看板を背負うかのような風格があるので、今後ますます盛り上がっていって欲しい。

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今日は短いけどこんなところで。

ここ最近だいぶ長くなっていたけど、別にこれぐらいの長さだって問題はない。

 

<今日の失敗>

夕飯を作りすぎた。

一区切り ー9/8の日記ー

色々あって、5日ぶりの日記となってしまった。習慣が途絶えない程度に続けられていればOKということにして、忙しい日は無理して書かないほうが長続きするかもしれない。

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日記にも何度か書いたイタリア語の問題集を一通りやり終えた。一周やりきることをこの夏の目標の一つにしていたので、(最後の方は疲れてきて騙し騙しではあったが)とりあえず終えることができてホッとしている。
一通りの文法を理解したので、次は読解に移りたいと思っている(面白そうな参考書も見つけた)。一方で、せっかくなら発信する力、すなわちライティングの能力ももう少し伸ばせるといいなぁという気持ちも湧いてきたので、そこも少し考えていこう。

さて、この夏の目標が一区切りついたところで、自分なりの「夏休み」を取ろうかと考えている。本当は一旦難しいことは一切忘れて1週間ほど楽しく過ごしたいと思っているのだけれど、実際に「勉強」に分類される行為を一切せずに過ごしているとおそらく「これで本当にいいんだろうか?」という不安が勝ってしまうので、おそらくはそこそこに勉強もしながらになるだろう。それでも、すでにこの期間にやりたいことはいくつか決めてあるので、そこは確実に実行していきたい。

まずは、SCRAPの脱出ゲームブック10人の憂鬱な容疑者」だ。このシリーズの別作品をやったことがあるのだが、なかなかのボリュームかつ根気と集中力のいる内容で、ある程度腰を据えて向きあう必要があったので、今回のこれもまとまった時間が取れるまで本棚にしまってあった。誕生日に人からもらったものなのですでに3ヶ月以上置いてあったことになるが、いよいよ機が熟したという感じだ。じっくり楽しもうと思う。

あとは、ゆるゆりきんモザの劇場版が見たいと思っている。dアニメストアにあるので別にいつでも見れるのだが、こちらもある程度腰を据えて見なければと思っていたので、今回は絶好の機会だ。

最後に、スーパー銭湯に行きたいと思っている。ただ、これに関しては一つ重要な問題がある。行こうと思っているスーパー銭湯が、駅から遠いのだ。「残暑」などという生ぬるい言葉では片付けられないこの暑さの中で長い道のりを歩いてしまっては、せっかく風呂に入ったのに帰り道でまた汗だくになる、ということになりかねない。この問題についての打開策は今の所「涼しくなるまで待つ」しかない。来週以降は少し涼しくなるそうだが、この「セルフ夏休み」期間に実行できるかはわからない。

 

<今日の季節モノ>

マックで月見バーガーを食べた。うまい。

言い訳としてのチューニングと相対化 ー9/3の日記ー

昨日の今日で、友人とご飯を食べに行ってしまった。
一応自分に弁解しておくと、カウンターでラーメンを食べただけ、しかも二郎系の店だったので店内であまりペチャクチャと喋るような雰囲気ではなく、相対的にはリスクは低いはずだ。もっとも実際のところは、もう流石に断るのに疲れた、というのもなくはないかもしれない。というか、大いにあるだろう。

友人とは短い時間でだいぶ色々な話をしたが、聞くとやはりもう結構出歩いて遊んだり、食事しに行ったりしに行っているようだ。人の心というのは勝手なもので、そんな友人の話を聞くにつれ、別に状況は全く変わっていないのに、会食に対する抵抗がどんどん薄れて、飯ぐらい別にいっか、という気持ちが膨らんでいくのを感じ、我ながら呆れる思いがあった。

しかし一方で、これはある意味で社会と隔絶している間にずれてしまった感覚のチューニングといえなくもないのかもしれないとも考えた。もちろん警戒が引き続き必要な状況で、周りに流されて軽率な行動をとるのが正しいとは思わないが、そういう部分も含めて自分の考え方をある程度相対化して省みることも必要だろう。周囲と断絶した状態で自分の判断だけを絶対視するようになれば、たとえいっときの判断として正しかったとしても、社会状況の機微に対応するのは容易ではない。やはり、最低限の交流は絶やすべきではないのだろう。

来月からはまた少し環境が変わってリスタートになる部分もあるので、そこそこに人との交流も持ちながら、一方で自分の信念というか、正義のようなものも大切にしながら、やっていきたい。

 

<今日の再発見>

やっぱり図書館は集中できる。